旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

金子文子と栗原一男5. [文子の親友、新山初代]

 新山初代のことを、金子文子は獄中手記「何が私をこうさせたか」の中で「初代さんは私の一生を通じて見出し得たただ一人の女性」「初代さんによって私は真の友情の温かみと力を得た」と書いている。一方の新山も、取り調べの中で「女の友達で誰が一番好きか」と尋ねられた時、一も二もなく文子の名を挙げ、文子も「私もまた、初代さんが一番好きだと言いたい」と、気持ちを吐露している。

 新山は文子より二つばかり年上。二人が出会ったのは、英語を学ぶために通っていた、正則英語学校の夜学の教室だった。男子生徒と「死」について議論を交わしていた新山に、文子が意見したのが二人の距離が縮まるきっかけだった。新山は肺病を患っており、少女の頃から死について考えることが多かった。文子もまた、養女として引き取られていた叔父の家で虐待を受け、自殺を試みたことがあった。死を身近に感じたことのある二人は、共鳴しあうものがあったのだろう。

 

 新山は早くに父を亡くした後、事務員をしながら夜学に通い、母、妹二人と暮らしていたが、1922年11月頃、独立して雑貨菓子商を始めている。家族に肺病をうつすのを恐れたのと、「気分として一人でおりたい」と思ったからだ。女学生の頃は国家主義的な考えを持っていたが、婦人問題に関心を持つようになり、しかしあまり深入りせずに終わる。

 文子は新山から本をたくさん借りており、スティルネル、アルツィバーシェフ、ニーチェなどの思想から多くの影響を受けたが、新山自身は読書よりも自己の内面を思索することを好んだ。自分のことを個人主義者であり、「対象物なき叛逆の気分」がいつもつきまとっていたと供述している。

 だからといって、文子や朴烈の語る「爆弾テロ計画」に共感していたかというと、そうではない。新山は朴烈と初めて会った時にも死について話しているが、「死ぬのなら叛逆的直接行動を取ってから死にたい」と言う朴烈に対し、「人間は将来により大きい幸福や希望を持つけれども、それを甘受する頭は一つ、すなわち自己だけであるから、現在よりもより苦痛、より幸福が来るわけがなく、結局同じ現在を繰り返すに過ぎない」、だから死ねるものなら死んでしまいたいと語っている。

 文子や朴烈が「爆弾を使って有象無象を吹っ飛ばしてやりたい」と考えていたのに対し、新山は自己の身を滅ぼしてしまいたいと考えていたのだ。

 その新山に「上海に行って爆弾を入手する」計画があることをしゃべってしまったのが、金重漢だった。新山が金重漢と初めて会ったのは23年5月27日。不逞社の会合の席だった。その後も二人は度々顔を合わせており、6月7日には夜遅くに金重漢が新山の家を訪ねてきて、電車がなくなったのでそのまま泊っている。電車がなくなったというのは口実で、最初からそのつもりだったのではないか。この時彼は、新山に性的な関係を求めている。新山によると「ほとんど暴力に出てまじき状況」だったという。

 当時、新山には別に恋人がいた。そのことを伝え、「自然な成り行きに任せたい」と言って難を逃れたが、金重漢はその後も何度も新山の家を訪ねてきた。新山も根負けしたのか、情に流されたのか、ほどなく二人は恋愛関係となる。

 新山に恋をした金重漢は、当初の目的を忘れていった。無政府主義に共鳴して日本に来たはずなのに、社会運動への情熱はなくなっていった。それだけならまだしも、彼は口が軽かった。爆弾入手計画のことをばらすにとどまらず、朴烈が「自分の知っている主義者に肺病患者がいる。肺病患者はどうせ近い内に死ぬのだから、そのような人に爆弾を投げてもらったらいい」と軽口を叩いたことまで、新山にしゃべってしまった。新山は当然、自分のことだと憤慨した。

 一方で朴烈も、恋におぼれて目的を見失っている金重漢に失望していった。金・新山と朴烈の関係は悪化し、8月の不逞社の例会で激しく言い争っている。

 のちに文子と朴烈が大逆罪で起訴されることになるのは、検挙された新山が「朴烈から聞いた革命の話」として、朴烈が革命をするなら秋が都合がよいと言っていたのを「今秋とはご慶事のこと」、すなわち皇太子の婚礼の儀のことだと「直感した」と供述したことが決め手になったと見られている。

 朴烈への悪感情からそのような供述をしたのだろうが、それから1ヶ月後の23年11月28日、新山は都内の病院で亡くなっている。持病の結核が、拘留されている間に著しく悪化したのだ。朴烈憎さだけでなく、苦しくて早く解放されたかったのではないか。

 新山はかつて朴烈に「死ねるものなら死んでしまいたい」と話した。だが、望んでいたのはこんな死に方ではなかったはずだ。

 

[参考文献]

再審準備会編集「金子文子・朴烈裁判記録」(黒色戦線社)

金子文子「何が私をこうさせたか」(岩波文庫