旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

東京旅行10.[亀戸事件犠牲者之碑③]

殺害された労働運動の活動家たち10人の追悼碑は、JR総武線亀戸駅から10分ほど歩いた浄心寺の中に建立されている。途中、亀戸署跡地も通った。現在はネットカフェになっている。あの場所で凄惨な虐殺が行われたと思うと、ちょっと入る気になれない。 浄心寺…

東京旅行9.[亀戸事件犠牲者之碑②]

では、南葛労働会や純労働者組合で労働運動を行っていた活動家たちが虐殺されたのは何故なのか。虐殺された吉村光治の弟・南巌も、9月11日に亀戸署高等係の刑事らに検束されている。南は震災後、自宅で老父母の世話をしたり、夜警や救援活動に携わっていた…

東京旅行8.[亀戸事件犠牲者之碑①]

旧四ツ木橋跡を訪ねた後は亀戸へ移動し、浄心寺にある亀戸事件犠牲者の追悼碑を訪ねた。 関東大震災の混乱のさなか、南葛労働会で活動していた労働運動家の川合義虎らが亀戸署で殺害されたのは、9月3日という説と4日という説があるが、ここでは旅行中に読…

東京旅行7.[旧四ツ木橋付近②]

追悼碑を見た後は、荒川河川敷を歩いてみた。関東大震災の時、大規模な朝鮮人虐殺が行われた場所である。当時、四ツ木橋という木造の橋がかかっていて(現在の四ツ木橋とは別物)、この周辺で虐殺が起きた。最初は自警団など武装した人々が連行してきた朝鮮…

東京旅行6.[旧四ツ木橋付近①]

皇居前広場を訪ねた後は、電車で京成押上線八広駅まで移動。まず、荒川河川敷近くにある関東大震災時の朝鮮人虐殺犠牲者の追悼碑を訪ねた。 「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」が2009年に建立したものだ。碑文にはこうある。 「一…

東京旅行5.[皇居前広場④]

さて、再び原武史先生のテキストに戻って、戦後の皇居前広場。 1945年8月10日の御前会議にて、国体の護持を条件にポツダム宣言の受諾を決定した日本政府は14日に正式に受諾、9月2日、東京湾に停泊したアメリカ軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印した。9月…

東京旅行4.[皇居前広場③]

さて、今回皇居前広場を訪ねたのには、実はもう一つ理由がある。二重橋が見てみたかったのだ。 1924年1月5日、金祉燮(김지섭 キムジソプ)という朝鮮人が二重橋付近で爆弾を投げる事件が起きている。彼は朝鮮の独立と平等な社会を実現するために結成され…

東京旅行3.[皇居前広場②]

皇居前広場について、引き続き原武史先生のテキストに沿って説明。 大正天皇が亡くなり、昭和に改元したのは1926年12月25日のことだ。昭和は末年も1週間しかなかったが、元年も1週間足らずしかないのである。 昭和の即位礼(大嘗祭)は1928(昭和3)年11…

東京旅行2.[皇居前広場①]

金曜日に東京に着いて錦糸町のホテルに宿泊、翌土曜日、東京駅から皇居前広場を訪ねた。 東京駅丸の内駅舎の天井。 みんな天井を見上げて写真を撮っているので、私も見上げてみた。 今回の旅行は放送大学の原武史先生の授業に触発された部分が大きいので、以…

東京旅行1.[なぜ、私は皇居前広場を訪ねたのか]

週末、東京を旅してきた。今回の旅行は、放送大学で今年度前期に原武史先生の「日本政治思想史」を受講したことが大きい。 著名な思想家の書き記したものからその思想を学ぶのではなく、広場、鉄道、団地といった「空間」に着目する空間政治学という手法で、…