辻潤
さて、「ふもれすく」は辻潤が伊藤野枝を追悼して書いた文章であるが、辻は野枝の死をどのように知ったのだろうか。 1923年9月1日の関東大震災の発生時、辻は銭湯にいた。地震に驚いて裸で飛び出し、自宅に帰ってみると母や子ども(のちに詩人・画家となる…
伊藤野枝と辻潤が離婚した理由は様々なのだろうが、一つには政治や社会に対する姿勢の違いがあったようである。よく知られているのが、アナキストの渡辺政太郎から足尾銅山の鉱毒被害と、それにまつわる政府からの弾圧や迫害に苦しむ谷中村の人々の話を聞き…
辻潤が「伊藤野枝の元夫」として扱われることに、不満を抱いていたことは前回書いた通りである。確かに離婚して何年もたっているのに、いつまでも「元夫」と呼ばれ、なおかつ「女房に逃げられた」と言われ続けるのは不愉快なことだろう。だが、女性が「誰々…
4月の初めに、上野を歩いてきた。朝の10時から国立科学博物館に行き、4時間ほどかけて展示を見た後、周辺をぶらり。立ちよった一つが、上野学園だ。 上野学園とひとまとめになっているが、上野学園中学校、上野学園高等学校、上野学園短期大学から構成され…