旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

東京大逆ツアー 池袋編・番外2[前田卓と辛亥革命]

前田卓(まえだ・つな)が辛亥革命の支援に関わるようになるのは1905年、上京したことがきっかけだった。その年の6月、卓は3度目の短い結婚生活に終止符を打っている。37歳だった。養老院にでも住み込み、お年寄りの世話をしようと思って上京するが、義弟…

東京大逆ツアー 池袋編・番外[前田卓と夏目漱石]

夏目漱石が前田卓(まえだ・つな)と初めて会ったのは、漱石が熊本の五高に赴任していた1897年のことである。同僚の英語教師の誘いで、年末から正月にかけて熊本県玉名郡小天村湯之浦(現・熊本県玉名市天水町小天)にある前田案山子の別邸を訪ねたのだ。この…

東京大逆ツアー 池袋編14.[宮崎滔天旧宅]

雑司ヶ谷霊園で著名人の墓を訪ねた後は、西池袋に宮崎滔天の旧宅があるというのでよってみた。1914年に中国の革命家・黄興の援助によって建てられたものだ。滔天は孫文と黄興の中国同盟会の結成に尽力するなど、中国革命運動を熱心に支えたがその分生活は困…

東京大逆ツアー 池袋編13.[雑司ヶ谷霊園 著名人の墓]

せっかく来たので、園内の著名人の墓をめぐってみることとした。まずは泉鏡花。私は10代の頃は文学少女で、特に日本の近代文学を中心に読んでいた。泉鏡花も勿論読んでおり、一番好きな作品は「眉かくしの霊」。ラストシーンの静謐な美しさは、今も忘れるこ…

東京大逆ツアー 池袋編12.[雑司ヶ谷霊園 法務省墓地]

布施辰治の墓を訪ねた後は、歩いて雑司ヶ谷霊園に移動。夏目漱石をはじめ、著名人が多数眠っていることで有名だが、私たちの目的は敷地内にある法務省墓地である。これが今回の行き先を池袋に決めた二つ目の理由。 法務省墓地には獄中で亡くなったり、死刑に…

東京大逆ツアー 池袋編11.[布施辰治の墓]

今回、行き先を池袋に決めた主な理由は二つ。一つは南池袋の常在寺に弁護士・布施辰治の墓があるからだ。境内には顕彰碑もあり、布施の座右の銘である「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆の為に」が刻まれているそうだが、裏面に刻まれているのか確…

東京大逆ツアー 池袋編10.[サンシャイン60]

「池袋編」と銘打っていながら、一向に池袋に行かないなと思っていた人もいらっしゃるかも知れませんが、いよいよ今回から本当に池袋です。 池袋に到着して最初に行った場所はサンシャイン60である。なぜか。かの有名な「巣鴨プリズン」跡地だからだ。GHQ…

東京大逆ツアー 池袋編9.[東京駅・原敬暗殺跡]

池袋での友人との待ち合わせまでまだ少し時間があるため、東京駅によってみることにした。丸の内南口に宰相・原敬の暗殺現場を示すパネルが掲示されているのだ。もっとも、パネルには「暗殺」という生々しい言葉は使われておらず、「原首相遭難現場」という…

東京大逆ツアー 池袋編8.[虎ノ門事件と『連帯責任』]

虎ノ門事件については、もう一つだけ書いておきたいことがある。それはこの事件が及ぼした影響についてだ。 まず、難波大助の父である。1923年12月27日に大助が虎ノ門で摂政裕仁を狙撃した後、父は辞職勧告を受け議員を辞職した。それから山口の自宅に戻り閉…

東京大逆ツアー 池袋編7.[虎ノ門事件現場跡]

さて、難波大助が摂政裕仁を狙撃した虎ノ門事件現場跡である。 1923年の暮れも押し迫った12月27日、貴族院で行われる臨時議会の開院式に出席するために赤坂離宮を出て、日比谷の国会議事堂に向かう摂政を大助は虎ノ門で狙撃した。大助の父はこの議会に出席す…

東京大逆ツアー 池袋編6.[難波大助は決意した]

1923年10月、難波大助は郷里の山口にいた。 どうにか父の許しを得て9月に上京したら関東大震災に遭遇し、しばらくは被災した鎌倉の兄の家の片づけなどを手伝っていた。落ち着いたら今度こそ仕事につき、労働運動をするつもりであった。にもかかわらず何を思…

東京大逆ツアー 池袋編5.[タイミングが悪すぎる難波大助]

1923年5月1日、東京・芝公園で行われた第4回目のメーデーに、難波大助は友人とともに参加をした。今回も警察隊のひどい妨害があったが、デモ行進の際には革命歌を高らかに歌い、痛快であった。久しぶりに大助の胸は晴れた。 だが、この頃から大助は身体の…

東京大逆ツアー 池袋編4.[ダメをこじらせる難波大助]

1921年、予備校通いを続けていた難波大助はようやく早稲田大学高等学院に合格する。23歳になっていた。当初は真面目に通学するが、サンジカリズムにひかれ、夏休みが終わる頃には高校に入学したことを後悔し始める。労働者が虐げられているのに、自分はのう…

東京大逆ツアー 池袋編3.[『未来の馬賊の大王』難波大助]

命を賭してでも赤旗を守る!との心意気を込め、「墓山死赤(はかやま・しせき)」という珍妙な筆名を使っていた難波大助であるが、実はそれ以前に使っていた筆名がある。「未来の馬賊の大王」というのがそれで、中学生の時に「武侠世界」という雑誌に投稿を…

東京大逆ツアー 池袋編2.[難波大助と金子文子]

2日目午前中、友人との待ち合わせまでに時間があったため、急きょ、難波大助が摂政裕仁を狙撃した虎ノ門事件現場跡を見に行くこととした。 難波大助は1899年11月7日、山口県熊毛郡周防村(現・光市)に生まれた。父は作之進、母はロク。祖父は勤皇の志士で…

東京大逆ツアー 池袋編1.[模索舎など]

週末、2泊3日で東京に行ってきた。 今回の目的は金子文子と朴烈の大逆事件はじめ、社会運動に関わる様々な裁判の弁護を務めてきた弁護士布施辰治、及び1923年12月に摂政裕仁(のちの昭和天皇)を虎ノ門で狙撃した難波大助の墓を訪ねることである。 初日は1…

伊藤野枝の今宿

世間は代替わりで盛り上がっている5月1日、韓国から国民文化研究所のKさんが福岡にいらっしゃったので、友人のFさん、Iさんの案内で伊藤野枝ゆかりの場所を訪ねてきた。 日本で最も有名な女性アナキストと言って過言ではないであろう伊藤野枝は、1895年…