旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる10.[安田善次郎の墓]

旅行3日目は再び東京。今日が最終日であるが、飛行機の時間までもう少し東京を歩いてみることとした。 小雨が降る中向かったのは、大塚の護国寺にある安田善次郎の墓だ。朝日平吾の墓に行ったのだから、彼のテロの犠牲になった安田の墓にも行ってみようと思…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる9.[宮下太吉の墓]

宮下太吉は1875年、山梨県甲府市で生まれた。墓も甲府市内の光澤寺にある。小学校を出たのち、16歳で機械工見習いとなる。東京、大阪、神戸、名古屋などの工場を渡り歩き、愛知県亀崎の工場で働いていた1902年頃から社会主義に関心を持つようになった。 1908…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる8.[甲府へ]

旅行2日目。昨日は東京の本郷を歩いたが、今日は山梨県甲府市へ向かう。甲府へ行くのは2018年7月以来だ。今回の目的地は2つ。「山梨平和ミュージアム -石橋湛山記念館-」と、大逆事件で刑死した宮下太吉の墓である。 石橋湛山記念館は2018年2月に訪ね…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる7.[煩悶青年とテロリズム]

本郷の朝日平吾の下宿跡を訪ねた後、朝日の墓にも足を延ばしてみた。墓は大塚の西信寺にある。9月28日の命日の後だからか、花が供えられていた。私自身は超国家主義とその時代背景について関心があるから訪ねたのであり、朝日の思想や行動に何ら賛同・共感…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる6.[安田講堂、朝日平吾下宿跡]

本郷と言えば、東京大学である。今回行き先を本郷と定めたのも、まだ赤門を見たことがないからという単純な理由だった。 東京大学が明治新政府によって設立されたのは1877年。江戸幕府直轄の開成所と医学所が統合され、日本最初の官立大学として誕生した。有…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる5.[菊富士ホテル跡]

燕楽軒跡で和田久太郎に思いを馳せ、菊坂通りをゆるゆると下って向かうは菊富士ホテル跡である。 菊富士ホテルは1914年、本郷区菊坂に開業した。坂口安吾、谷崎潤一郎、宇野千代、広津和郎、正宗白鳥、直木三十五、竹久夢二、宮本百合子、湯浅芳子、三木清と…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる4.[福田雅太郎暗殺未遂現場跡]

和田久太郎と村木源次郎が、陸軍大将・福田雅太郎を暗殺しようとしたのは、1924年9月1日のことだった。関東大震災からちょうど一年後のこの日、福田は本郷区菊坂町の長泉寺で講演をする予定となっていた。講演会は在郷軍人会の主催で、福田は震災当時、戒…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる3.[平田篤胤と天狗小僧]

東京駅で浜口雄幸遭難現場を訪ねたら、御茶ノ水駅で下車。本郷が目的地なのに、御茶ノ水で降りたのには理由がある。湯島聖堂を横目に神田明神を横切り、さらに歩いて湯島天神へ。湯島天神の男坂(天神石坂)下に、国学者の平田篤胤が住んでいたのだ。 篤胤が…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる2.[東京駅 浜口雄幸遭難現場]

さて、羽田空港に到着したらモノレールで浜松町まで移動。私が羽田空港を使う理由の一つが、モノレールに乗れることだ。普段乗る機会がないのでワクワクするし、窓からの景色がよい。浜松町からはJRで御茶ノ水を目指す。途中、東京駅で乗り換え。その時ハ…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる1.[超国家主義の足跡]

緊急事態宣言が明けた10月、久しぶりに関東を訪ねた。今回の行き先は東京の本郷と山梨県甲府。本郷に行こうと思ったのは、まだ東大の赤門を見たことがないからという単純な理由だったが、実にみどころの多い街だ。一つには、菊坂界隈を中心にたくさんの文士…