旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

近現代史

無目的のひと、辻潤1. [伊藤野枝の元夫というくびき]

4月の初めに、上野を歩いてきた。朝の10時から国立科学博物館に行き、4時間ほどかけて展示を見た後、周辺をぶらり。立ちよった一つが、上野学園だ。 上野学園とひとまとめになっているが、上野学園中学校、上野学園高等学校、上野学園短期大学から構成され…

久留米とドイツ兵3. [ドイツ兵俘虜慰霊碑、ほか戦跡]

ドイツ兵俘虜慰霊碑は、JR南久留米駅から歩いて20分ほどのところにある。慰霊碑のほか旧陸軍に関係する戦跡がいくつか残っているので、それらも併せて訪ねてみた。 まず、歩いていると唐突に「忠霊鎮護之地」と刻まれた石碑が見えてくる。大きくカーブした…

久留米とドイツ兵2. [俘虜収容所での生活]

1914(大正3)年10月、久留米にドイツ兵俘虜(捕虜)を収容するための収容所が設置された。全国で最初に設置された収容所である。所長は樫村弘道が務めた。 京町の梅林寺、日吉町の大谷派教務所・事務所、篠山町の香霞園、三井郡上荒木(こうだらき)村の高…

久留米とドイツ兵1. [軍都としての久留米]

一度ゆっくり訪ねてみたいのだけど、なかなか叶わずにいるところの一つに、久留米がある。福岡県の南部、筑後平野に位置する久留米市は、私が住んでいる福岡市から西鉄電車の特急に乗れば30分。筑後川がゆったりと流れ、文化の香りがする素敵な街である。仕…

人身売買された宰相 高橋是清2.

慶応3(1867)年、アメリカに留学した14歳の高橋是清は、まずサンフランシスコでヴァンリードという老夫婦の家に世話になることとなった。老夫婦は最初こそ歓待してくれたものの、是清に料理の手伝いや部屋の掃除、使い走りなどの下働きをさせ始める。勉強…

人身売買された宰相 高橋是清1.

江戸東京たてもの園にて、高橋是清邸を見る機会があった。高橋是清は言うまでもなく、日本の首相にもなったことのある人物だ。たてもの園に保管されているのは、1902年に赤坂に建てられた家屋で、実はこの2階が二・二六事件の舞台である。 二・二六事件が起…

大逆事件と関西4.[東洋初のロボット・学天則]

ロボットが好きである。どれくらい好きかというと、福岡には「ロボスクエア」というロボットの科学館があるが、昔はクリスマスシーズンになると、ロボットによるクリスマスショーが行われていた。それを毎年見に行っていたくらいには好きだ。ソフトバンクの…

特に目的のない旅7.[顔だけの大仏様、上野大仏]

東京の桜の名所といえば上野公園。上野には2019年1月に、金子文子の足あとをたどるために訪ねたことがあるが、それ以来だ。ちょうど桜のシーズンなので、滞在最終日、飛行機に乗る前に上野公園まで足を延ばしてみた。 午前中まだ早めの時間だったが、それな…

特に目的のない旅4.[磯部浅一と朝日平吾]

磯部浅一の墓は、墓地に入ってすぐのところにあった。 墓を訪ねたのは、彼の思想や行動に共感や賛同するところがあるからではない。以前、1921年に安田善次郎を刺殺した朝日平吾の下宿跡や墓を訪ねたことがあったが、この時も、朝日の思想や行動に共感、賛同…

特に目的のない旅3.[豊国山回向院(小塚原回向院)]

三ノ輪と三河島をぶらりとする間に立ち寄ったのが、回向院だ。浄土宗の寺院である回向院は、東京に二ヶ所ある。一つは両国。両国回向院と呼ばれ、正称は諸宗山回向院。開創は1657年。元号でいうと明暦3年で、火事が多かった江戸でとりわけ大規模な火災とな…

泉鏡花記念館を訪ねる

思いがけない用事で、金沢に行く機会に恵まれた。実は石川県どころか、北陸地方に行くのが初めて。新幹線の車窓から眺める景色も物珍しく、短いながら思い出深い旅行となった。 金沢といえば、泉鏡花の故郷である。11月に東京・神楽坂の旧居跡を訪れたばかり…

松代大本営を訪ねる6.[松代大本営と戦後]

帰りに長野駅前で、Mさんから小さな石碑を教えられた。表には「日朝親善 恒久平和」、側面に「友愛」の文字が見える。1960年に在日本朝鮮人総連合会の長野県本部が建てたものだ。 松代大本営の建設工事は日本の敗戦とともに中断されたが、朝鮮人労働者みな…

松代大本営を訪ねる5.[賢所と「純粋日本人」]

賢所の造営にあたり、宮内省からはもう一つ注文が出ていた。それは掘削は「純粋日本人の手による」というものだった。 松代大本営の建設工事には、様々な人が動員されている。計画から調査、設計までを行ったのは陸軍省軍務局や兵務局だが、実際の工事にあた…

松代大本営を訪ねる4.[松代大本営と天皇制]

強制立ち退きはこれだけにとどまらなかった。翌1945年4月、今度は西条村の村民124世帯に立ち退きが命じられた。軍から長野県知事に対し要請があり、さらに知事から西条村村長に「軍の施設を作る」という名目で協力が求められたのだった。 求められた協力と…

松代大本営を訪ねる3.[なぜ松代だったのか]

松代象山地下壕まではJR長野駅からバスで約30分。松代八十二銀行前で下車して、さらに20分ほど歩く。東京はまだ晩秋の気候だったが、長野は既に冬を思わせる冷たい風が吹き始めていた。 大本営の移転を最初に提案したのは、陸軍参謀の井田正孝少佐である。…

松代大本営を訪ねる2.[松代大本営とは何か]

松代大本営については、先の記事で「アジア・太平洋戦争末期、敗戦色も濃厚となった1944年から45年にかけ、長野県埴科郡松代町(現長野市松代町)に作られた地下軍事施設群」と書いた。これについてもう少し詳しく見ていこう。 まず、「大意本営」とは天皇直…

松代大本営を訪ねる1.[まずは神楽坂など]

11月中旬、長野県を訪ねた。金子文子が縁で知り合い、その後伊藤野枝や前田卓(つな)の墓を一緒に訪ねた、SさんとMさんのお誘いである。目的地は松代象山地下壕。「松代大本営」といった方が、通りは早いだろう。 松代大本営とはアジア・太平洋戦争末期、…

今年も9月1日を東京で過ごす1.[関東大震災から99年目]

関東大震災の発生から99年となる2022年、2年ぶりに東京で9月1日を過ごした。都立横網町公園で毎年行われている、関東大震災時の朝鮮人犠牲者追悼式典に参加するためだ。去年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、参列するのは関係者に限られ、一般の参…

旧中野刑務所(旧豊多摩監獄)跡

6月に所用で東京に行った際、旧中野刑務所跡を訪ねてきた。JR中野駅から歩いて15分ほど。現在は正門のみが中野区の文化財として保存されており、他の建物は既に解体されて残っていない。この正門も、現在の場所から100メートルほど西に移転する計画がある…

桜の時期に4.[靖国神社 ――会津人柴五郎の遺書から考える――]

東京滞在最終日。飛行機の時間まで少しだけ余裕があるので、一度行ってみなければと思いつつ、わざわざ予定を組むのも気が進まず、後回しにしていた場所に行ってみることとした。靖国神社である。 靖国神社が創建されたのは1869年。当時の名前は東京招魂社。…

モノレールに乗って2.[土方歳三の墓]

新選組副長で知られる土方歳三は、天保6年5月5日(1835年5月31日)、武藏国多摩郡石田村の豪農の家に生まれた。父は隼人義諄(よしあつ)、母は恵津。帰農武士の家柄と言われており、当主は代々「隼人」を名乗った。しかし、父は歳三が生まれる3ヶ月前…

モノレールに乗って1.[新選組の里を訪ねる]

モノレールが好きである。高いところを走るので景色がよいし、どことなくのんびりしていて、非日常のにおいがする。私が住んでいる福岡市にはモノレールの路線はないので、乗るのは常に旅先である。今回乗ったのは、東京の多摩モノレール。開業は1998年11月…

大逆ツアー 熊本編2.[炭鉱の町と慰霊碑]

当日はJR大牟田駅前でOさんと待ち合わせ。最初に向かったのは、大逆事件とは関係のない場所であるが、大牟田駅から車で5分ほどのところにある宮浦石炭記念公園だ。 福岡県の最南端にある大牟田市は熊本県荒尾市に隣接しており、大牟田も荒尾もかつては三…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる7.[煩悶青年とテロリズム]

本郷の朝日平吾の下宿跡を訪ねた後、朝日の墓にも足を延ばしてみた。墓は大塚の西信寺にある。9月28日の命日の後だからか、花が供えられていた。私自身は超国家主義とその時代背景について関心があるから訪ねたのであり、朝日の思想や行動に何ら賛同・共感…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる6.[安田講堂、朝日平吾下宿跡]

本郷と言えば、東京大学である。今回行き先を本郷と定めたのも、まだ赤門を見たことがないからという単純な理由だった。 東京大学が明治新政府によって設立されたのは1877年。江戸幕府直轄の開成所と医学所が統合され、日本最初の官立大学として誕生した。有…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる2.[東京駅 浜口雄幸遭難現場]

さて、羽田空港に到着したらモノレールで浜松町まで移動。私が羽田空港を使う理由の一つが、モノレールに乗れることだ。普段乗る機会がないのでワクワクするし、窓からの景色がよい。浜松町からはJRで御茶ノ水を目指す。途中、東京駅で乗り換え。その時ハ…

明治大正テロリズムの残滓を訪ねる1.[超国家主義の足跡]

緊急事態宣言が明けた10月、久しぶりに関東を訪ねた。今回の行き先は東京の本郷と山梨県甲府。本郷に行こうと思ったのは、まだ東大の赤門を見たことがないからという単純な理由だったが、実にみどころの多い街だ。一つには、菊坂界隈を中心にたくさんの文士…

将門塚の改修工事

東京大手町の将門塚(首塚)の石碑が撤去されたり、木が伐採されたりして、ツイッターなどで「たたりがあるのではないか」と話題になっている。 これは「史蹟 将門塚保存会」による改修工事で、2020年11月から翌21年4月末にかけて行う予定であるという。改…

9月1日を東京で過ごす6. [添田唖蝉坊の墓]

さて日にちは変わり9月2日。福岡に戻る日だが、飛行機の便は夕方で時間に余裕があるので、小平霊園を訪ねた。目的は演歌師・添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)の墓参りだ。 演歌といっても、こぶしをきかせて男女の機微などを歌い上げるアレではない。ここ…

それは共感でも好意でもない9. [筥崎宮]

ことは宮中祭祀だけではなかった。日中戦争が始まると、皇太后節子は戦地から戻った軍人と会うようになった。軍人はまず午前10時に明治宮殿の御学問所で天皇に拝謁して戦況を報告し、午後から今度は豊明殿にて皇太后に報告を行った。御学問所とは天皇が政務…