旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

難波大助

向山文庫を再訪する5.[閉門中の難波家写真]

さて、翌日は光市図書館に向かった。地元の図書館に思いがけない資料があるのではないかと思ったからだが、果たして、その通りだった。 郷土史のコーナーにあった古野秀夫編「ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 光」(国書刊行会)という本がそれだ。こ…

向山文庫を再訪する4.[長徳寺]

向山文庫、及び難波家屋敷の後に向かったのは長徳寺である。長徳寺は1711年に給領主清水家の祈願所となった曹洞宗の寺だ。難波家から歩いて20分ほどのところにある。 ご本尊の十一面観音の縁日が3月18日にあたることから、毎年この日には「長徳寺市」が開か…

向山文庫を再訪する2.[正義霊社]

JR島田(しまた)駅から向山文庫、難波大助生家までは徒歩で30分ほど。途中に難波家にも縁の深い「正義霊社」がある。 正義霊社は1582年、織田信長から中国平定の命を受けた羽柴秀吉の水攻めにより追い込まれ、自刃した備中高松城主・清水宗治ゆかりの寺社…

向山文庫を再訪する1.[私が難波大助に関心を持つ理由]

3月下旬の週末、1泊2日で山口県を旅してきた。行き先は光市。去年の3月に訪ねた向山(こうざん)文庫を再訪することが目的だ。向山文庫は1883年に開設された山口県初の図書館で、開いたのは難波覃庵(たんあん)。帝国議会の開院式に向かう皇太子裕仁(…

大逆ツアー 山口編10. [向山文庫跡④]

母屋の裏手にある離れの2階は、難波大助が使っていた部屋である。それらしき建物が残っているが、こちらは中の様子はほとんどわからない。その部屋のふすまや壁に、大助は革命歌の歌詞などを書き殴っていたが、ふすまの表紙は虎ノ門事件後に警察によって押…

大逆ツアー 山口編8. [向山文庫跡②] 

1980年に刊行された、岩田礼「天皇暗殺 虎ノ門事件と難波大助」(図書出版社)によると、難波大助が皇太子裕仁(のちの昭和天皇)を狙撃した虎ノ門事件の後、大助の父・難波作之進は「廃家届」を出し難波家は断絶した。大助の兄妹たちは姓を黒川に変えている…

大逆ツアー 山口編7. [向山文庫跡①]

島田駅から歩くこと30分。いよいよ向山文庫跡に近付いてきた。 改めて「向山文庫」について説明すると、難波大助の曽祖父・難波伝兵衛周政(かねまさ)が1862年に創設した私設文庫のことで、難波家の土蔵がそれである。岸信介、佐藤栄作の曽祖父である佐藤信…

大逆ツアー 山口編6. [島田へ]

周南市に一泊し、翌朝、難波大助の生家がある光市の向山(こうざん)文庫跡に向かった。最寄り駅は島田駅。しまだではなく、「しまた」と濁らない。 1897年に開業し、今に至る。現在は徳山駅から4駅15分ほどだが、大助が徳山中学に通っていた頃は1時間近く…

大逆ツアー 山口編5. [周南市の街並み]

この日は徳山駅近くのホテルに宿泊したので、街並みを簡単にご紹介。 徳山駅には周南市立徳山駅前図書館が隣接している。レンタル大手のTSUTAYAを運営する、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が管理を代行する、いわゆるツタヤ図書館だ。2018年2月…

大逆ツアー 山口編4. [徳山中学校]

亀山公園を訪ねた後は再び電車で、周南市の徳山駅まで移動。約1時間。次の行き先は山口県立徳山高等学校である。徳山高校は1785年に徳山藩の藩学・鳴鳳館として設立され、1871年徳山藩が山口藩に合併されるのに伴い、山口県立山口中学校徳山部小学になった…

大逆ツアー 山口編3. [亀山公園]

下関を出た後は新山口で乗り換えて、山口駅まで移動。当初は山口県立図書館に資料を探しに行く予定だったが、コロナウイルスの影響で直前に臨時休館になってしまった。そこで行き先を変更して、県立図書館のすぐ近くにある亀山公園に行くこととする。 1923年…

大逆ツアー 山口編2. [下関をぶらり]

1日目は朝8時過ぎに福岡を出発。福岡から山口までは新幹線を使えば30分ほどで到着するが、30分ではちょっと味気ないし、料金もお高くなるので普通列車を乗り継ぐこととする。まず、博多から門司まで行き、門司で乗り換えて下関へ。 次の乗り換え列車まで1…

大逆ツアー 山口編1. [ちょっと急いだ方がいいかも知れない用件なので]

3月上旬、思うところあって週末に1泊2日で山口県に行ってきた。コロナウイルス感染拡大の影響で、不要不急の外出は避けるように言われ始めた時期であるが、ちょっと急いだ方がいいかも知れない用件だからである。 今回の目的は山口県光市にある向山(こう…

東京大逆ツアー 池袋編12.[雑司ヶ谷霊園 法務省墓地]

布施辰治の墓を訪ねた後は、歩いて雑司ヶ谷霊園に移動。夏目漱石をはじめ、著名人が多数眠っていることで有名だが、私たちの目的は敷地内にある法務省墓地である。これが今回の行き先を池袋に決めた二つ目の理由。 法務省墓地には獄中で亡くなったり、死刑に…

東京大逆ツアー 池袋編8.[虎ノ門事件と『連帯責任』]

虎ノ門事件については、もう一つだけ書いておきたいことがある。それはこの事件が及ぼした影響についてだ。 まず、難波大助の父である。1923年12月27日に大助が虎ノ門で摂政裕仁を狙撃した後、父は辞職勧告を受け議員を辞職した。それから山口の自宅に戻り閉…

東京大逆ツアー 池袋編7.[虎ノ門事件現場跡]

さて、難波大助が摂政裕仁を狙撃した虎ノ門事件現場跡である。 1923年の暮れも押し迫った12月27日、貴族院で行われる臨時議会の開院式に出席するために赤坂離宮を出て、日比谷の国会議事堂に向かう摂政を大助は虎ノ門で狙撃した。大助の父はこの議会に出席す…

東京大逆ツアー 池袋編6.[難波大助は決意した]

1923年10月、難波大助は郷里の山口にいた。 どうにか父の許しを得て9月に上京したら関東大震災に遭遇し、しばらくは被災した鎌倉の兄の家の片づけなどを手伝っていた。落ち着いたら今度こそ仕事につき、労働運動をするつもりであった。にもかかわらず何を思…

東京大逆ツアー 池袋編5.[タイミングが悪すぎる難波大助]

1923年5月1日、東京・芝公園で行われた第4回目のメーデーに、難波大助は友人とともに参加をした。今回も警察隊のひどい妨害があったが、デモ行進の際には革命歌を高らかに歌い、痛快であった。久しぶりに大助の胸は晴れた。 だが、この頃から大助は身体の…

東京大逆ツアー 池袋編4.[ダメをこじらせる難波大助]

1921年、予備校通いを続けていた難波大助はようやく早稲田大学高等学院に合格する。23歳になっていた。当初は真面目に通学するが、サンジカリズムにひかれ、夏休みが終わる頃には高校に入学したことを後悔し始める。労働者が虐げられているのに、自分はのう…

東京大逆ツアー 池袋編3.[『未来の馬賊の大王』難波大助]

命を賭してでも赤旗を守る!との心意気を込め、「墓山死赤(はかやま・しせき)」という珍妙な筆名を使っていた難波大助であるが、実はそれ以前に使っていた筆名がある。「未来の馬賊の大王」というのがそれで、中学生の時に「武侠世界」という雑誌に投稿を…

東京大逆ツアー 池袋編2.[難波大助と金子文子]

2日目午前中、友人との待ち合わせまでに時間があったため、急きょ、難波大助が摂政裕仁を狙撃した虎ノ門事件現場跡を見に行くこととした。 難波大助は1899年11月7日、山口県熊毛郡周防村(現・光市)に生まれた。父は作之進、母はロク。祖父は勤皇の志士で…

東京大逆ツアー 池袋編1.[模索舎など]

週末、2泊3日で東京に行ってきた。 今回の目的は金子文子と朴烈の大逆事件はじめ、社会運動に関わる様々な裁判の弁護を務めてきた弁護士布施辰治、及び1923年12月に摂政裕仁(のちの昭和天皇)を虎ノ門で狙撃した難波大助の墓を訪ねることである。 初日は1…