旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

金子文子

桜の時期に1.[岩崎善衛門と社会主義おでん]

4月のはじめ、東京と横浜を訪ねてきた。以前から一度、桜が咲いている時に訪ねてみたいと思っていたが、桜のシーズンといえばちょうど年度末、年度初めと重なっている。流石にこの時期に仕事を休むことは難しいので、かなわずにいた。ところが、今年は4月…

大逆ツアー 鎌倉8.[いわさき(社会主義おでん)]

銀座をぶらりと歩いた後は有楽町へ。食堂「いわさき」が開いていないか、ちょっとのぞいてみようと思ったのだ。 いわさきは1920年に創業した老舗の食堂だ。創業時は有楽町のガード下に店舗をかまえており、日本初のガード下飲食店として知られている。 この…

韓国大逆ツアー ソウル・聞慶編6.[朴烈義士記念館の展示]

金子文子の墓に手を合わせた後は、いよいよ館内へ。たまに、「同じところにそんなに何回も行ってどうするの?」と聞かれることがあるけれど、行く度に発見があるからだ。新しい資料が展示されていることもあれば、以前には目にとまらなかった資料に引き付け…

韓国大逆ツアー ソウル・聞慶編5.[朴烈義士記念館までの道と金子文子の墓]

最寄りのバス停から朴烈義士記念館までは歩いて15分ほど。タクシーで行けば楽なのに、あえてマウルバスに乗るのは、この道を歩きたいからだ。朴烈が慶尚北道聞慶郡麻城面で過ごしたのは、咸昌(ハムチャン)の公立普通学校に転校する10歳まで、即ち1911年ま…

韓国大逆ツアー ソウル・聞慶編4.[聞慶へ]

韓国旅行3日目。今日はソウルから慶尚北道・聞慶(ムンギョン)へ移動。約一年ぶりに「朴烈義士記念館」とその敷地内にある金子文子の墓を訪ねる予定だ。5回目の訪問である。 まずは地下鉄で、東ソウル総合バスターミナルまで移動。仁寺洞から30分ほど。聞…

韓国大逆ツアー ソウル・聞慶編3.[保守とマッコリ]

韓国旅行2日目。当初の予定では仁川観光をするつもりだったが、1.で書いたような事情でできなくなってしまった。新たに計画を立てるのも面倒で、今日はほぼノープランである。とりあえず、朝起きたらタプコル公園まで散歩してみた。 アジョッシ(おじさん…

韓国大逆ツアー ソウル・聞慶編2.[素晴らしきかな、コンビニ]

そんなこんなで11月8日。当初10時ちょうどの出発予定だったのが、18時45分に出発。こんな遅い便で韓国に行くのは初めてだ。でも、窓から見える夜景が美しい。遅い便もちょっといいなと思う。 (これは離陸前、飛行機の中から見た光景) 仁川国際空港には予…

韓国大逆ツアー ソウル・聞慶編1.[行く前から大変だ]

11月8~11日の日程で韓国を旅行してきた。目的は特にない。強いて言えば、日韓関係が悪化しているからだ。端を発したのは今年7月に日本政府が韓国に輸出規制措置を取ったことであるが、この背景として徴用工や日本軍「慰安婦」をめぐる歴史認識問題が指摘…

東京大逆ツアー 池袋編11.[布施辰治の墓]

今回、行き先を池袋に決めた主な理由は二つ。一つは南池袋の常在寺に弁護士・布施辰治の墓があるからだ。境内には顕彰碑もあり、布施の座右の銘である「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆の為に」が刻まれているそうだが、裏面に刻まれているのか確…

東京大逆ツアー 池袋編4.[ダメをこじらせる難波大助]

1921年、予備校通いを続けていた難波大助はようやく早稲田大学高等学院に合格する。23歳になっていた。当初は真面目に通学するが、サンジカリズムにひかれ、夏休みが終わる頃には高校に入学したことを後悔し始める。労働者が虐げられているのに、自分はのう…

東京大逆ツアー 池袋編2.[難波大助と金子文子]

2日目午前中、友人との待ち合わせまでに時間があったため、急きょ、難波大助が摂政裕仁を狙撃した虎ノ門事件現場跡を見に行くこととした。 難波大助は1899年11月7日、山口県熊毛郡周防村(現・光市)に生まれた。父は作之進、母はロク。祖父は勤皇の志士で…

立松判事と朴烈、金子文子 ~その複雑な関係~

本田靖春「不当逮捕」(講談社)を読んでいる。1957年10月24日、次々とスクープを飛ばしていた読売新聞の記者が突然、警察に身柄を拘束される。彼の書いた売春汚職事件をめぐる記事が名誉棄損にあたるという理由だが、検察側の意図は記者のスクープのリーク…

東京大逆ツアー9.[神保町から三崎町へ]

正則学園高等学校の教員たちの戦いに心の中でエールを送ってから、神保町を経由して三崎町に向かった。 1922年3月頃、正則英語学校の前の街路樹の下で待ち合わせた金子文子と朴烈は神保町通りの支那料理屋に入り、3階の小部屋で文子は朴烈に自分の気持ちを…

東京大逆ツアー8.[正則英語学校]

ツアーも終盤に近付き、次の目的地は金子文子が通っていた正則英語学校(現・正則学園高等学校)である。この正則学園高校に関しては、旅行の少し前にニュース記事で見ることがあった。長時間労働や理事長からのパワーハラスメントなどに対し、教員たちがス…

東京大逆ツアー7.[明治大学博物館]

在日本韓国YMCAの2・8資料室の後は、予定通り明治大学博物館へ向かった。明治大学の付帯施設である明治大学博物館は、「商品部門」と「刑事部門」、「考古部門」の3つから構成されており、特に刑事部門ではギロチンと鉄の処女を展示している。ギロチ…

東京大逆ツアー6.[2・8独立宣言記念資料室]

神田明神を出た後は湯島聖堂を経由して、明治大学博物館に向かう予定であったが、友人の提案で急遽、千代田区猿楽町の在日本韓国YMCAに立ち寄ることとする。2・8独立宣言の記念碑と資料室があるというのだ。 在日本韓国YMCAの入り口横にある記念碑…

東京大逆ツアー5.[神田明神]

三橋跡地、台東区上野3丁目付近を訪ねた後は湯島天神に立ち寄り、順天堂大学を目指して歩いた。白旗新聞店を辞めた後、金子文子は救世軍の斎藤音松(自伝には「伊藤」と表記)の助けで湯島の新花町に下宿を借りている。粉石けんの露天商や行商をしながら正…

東京大逆ツアー4.[三橋]

三橋(みつはし)は金子文子が上京して間もなく、新聞を売った場所である。 父親の家を飛び出るようにして、1920年4月に上京した文子は三の輪の大叔父の家に転がり込んだ。しかし、女が学問をすることを理解できない大叔父は、堅気な商人にでも縁づくことを…

東京大逆ツアー3.[上野恩賜公園]

3日目は東京の友人に案内をしてもらった。というのも今回、私が上野に宿泊をすると話したところ、「金子文子が上京して間もない頃、新聞を売った『三橋(みつはし)』が泊っている場所から近いはずだ」というのである。 そこで、不忍池(ここも文子の自伝に…

韓国聞慶・芙江旅行6.[白川]

最後に訪ねたのは川である。そう、自伝の中で最も鮮烈な印象を残す、文子が自殺未遂を図ったあの川だ。岩下家の人々からの虐待に耐え兼ね、自殺を図ろうとしたことも衝撃的であるが、それ以上に山や木やセミの声や、自然の美しさによって生へと引き戻される…

韓国聞慶・芙江旅行5.[憲兵隊建築跡]

芙江駅からそう離れていなかったと思うが、かつて憲兵隊が駐在していた場所は警察署になっていた。文子の自伝に出てくる、カーキ色の服を着た憲兵が朝鮮人のおしりを鞭で打っていたという、あの場所である。 「中でも一番眼につくのは憲兵隊の建築だ。カーキ…

韓国聞慶・芙江旅行4.[芙江駅と岩下家跡]

芙江小学校を訪ねた後は、金子文子が引き取られた岩下家の跡へ向かった。現在は別の家が建ち、住んでいる方もいらっしゃるため、詳細は省くが芙江駅の近くである。 岩下家があった場所から見えた風景 周辺の風景 当時は「山の手」と呼ばれ、岩下家はその中で…

韓国聞慶・芙江旅行3.[芙江へ]

滞在最終日、聞慶から芙江(プガン)に移動した。芙江は金子文子が9歳から16歳までを過ごしたところだ。自伝「何が私をこうさせたか」には「京釜(けいふ)沿線にある小村」と書かれているが、正確には忠清北道清州郡芙江面芙江里。現在は世宗市に編入され…

韓国聞慶・芙江旅行2.[日韓合同学術大会]

2日目は日韓合同学術大会に参加するため、金Cさんの運転で聞慶の朴烈義士記念館に向かう。あいにくの雨模様で、途中工事で渋滞していたりするも、開始2分前の12時58分に記念館に到着。 朴烈義士記念館にて。「2018 日韓共同学術大会」 大会のテーマは「朴…

韓国聞慶・芙江旅行1.[ソウルにて合流]

10月25日から27日まで、2泊3日で韓国へ行ってきた。今回の目的は、26日に聞慶の朴烈義士記念館で行われる「朴烈と金子文子 日韓アナキズム連帯闘争の歴史と未来」と題した日韓共同学術大会に参加することだ。登壇者の一人である亀田さんからお誘いいただい…

2018年 金子文子忌4.[労働運動社跡]

新山初代の墓と住居跡を見た後は、労働運動社跡を訪ねた。 ロシア革命の影響で日本でも労働運動が盛り上がりつつあった1919年、大杉栄、伊藤野枝、近藤憲二、中村還一、久坂卯之助、和田久太郎、村木源次郎らが中心となって機関誌「労働運動」を創刊。その刊…

2018年 金子文子忌3.[新山初代の墓と住居跡]

日比谷公園を散策した後は、国立国会図書館に移動して一休み。それから本駒込駅へ。ここで金子文子や大逆事件の研究をされている亀田博さんと待ち合わせて、明治・大正のアナキズムゆかりの地を案内していただいた。酷暑の中、本当にありがとうございました。…

2018年 金子文子忌2.[社会主義おでんと日比谷公園]

金子文子の命日である7月23日、東京の「いわさき」という食堂でお昼を食べた。 文子は上京後、新聞売り、露天商、住み込みの女中などを経た後、1921年11月頃から「岩崎おでんや」で働いていた。麹町区有楽町にあった岩崎おでんやは通称「社会主義おでん」と…

2018年 金子文子忌1.[日韓共同ワークショップ]

金子文子の命日である7月23日を前に、山梨市で文子の追悼式と日韓共同ワークショップが開かれるというので、参加してきた。 前日の21日に東京入りしてその日は新宿に宿泊、翌22日の午前中、山梨市へ移動。 牧丘町杣口(そまぐち)にある文子の歌碑の前での…

韓国聞慶旅行6.[2日目] 聞慶宿泊

この日は初めて聞慶に宿泊。ホテルはグーグルマップで位置を確認したら、聞慶バスターミナルから大きな通りをまっすぐ行ったところだ。ただ、実際に歩いたらどのくらいの距離なのか、全然見当がつかない。これまでの数々の失敗が脳裏をよぎる。 例えば中国に…