旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

東京旅行(2019年1月)

東京大逆ツアー9.[神保町から三崎町へ]

正則学園高等学校の教員たちの戦いに心の中でエールを送ってから、神保町を経由して三崎町に向かった。 1922年3月頃、正則英語学校の前の街路樹の下で待ち合わせた金子文子と朴烈は神保町通りの支那料理屋に入り、3階の小部屋で文子は朴烈に自分の気持ちを…

東京大逆ツアー8.[正則英語学校]

ツアーも終盤に近付き、次の目的地は金子文子が通っていた正則英語学校(現・正則学園高等学校)である。この正則学園高校に関しては、旅行の少し前にニュース記事で見ることがあった。長時間労働や理事長からのパワーハラスメントなどに対し、教員たちがス…

東京大逆ツアー7.[明治大学博物館]

在日本韓国YMCAの2・8資料室の後は、予定通り明治大学博物館へ向かった。明治大学の付帯施設である明治大学博物館は、「商品部門」と「刑事部門」、「考古部門」の3つから構成されており、特に刑事部門ではギロチンと鉄の処女を展示している。ギロチ…

東京大逆ツアー6.[2・8独立宣言記念資料室]

神田明神を出た後は湯島聖堂を経由して、明治大学博物館に向かう予定であったが、友人の提案で急遽、千代田区猿楽町の在日本韓国YMCAに立ち寄ることとする。2・8独立宣言の記念碑と資料室があるというのだ。 在日本韓国YMCAの入り口横にある記念碑…

東京大逆ツアー5.[神田明神]

三橋跡地、台東区上野3丁目付近を訪ねた後は湯島天神に立ち寄り、順天堂大学を目指して歩いた。白旗新聞店を辞めた後、金子文子は救世軍の斎藤音松(自伝には「伊藤」と表記)の助けで湯島の新花町に下宿を借りている。粉石けんの露天商や行商をしながら正…

東京大逆ツアー4.[三橋]

三橋(みつはし)は金子文子が上京して間もなく、新聞を売った場所である。 父親の家を飛び出るようにして、1920年4月に上京した文子は三の輪の大叔父の家に転がり込んだ。しかし、女が学問をすることを理解できない大叔父は、堅気な商人にでも縁づくことを…

東京大逆ツアー3.[上野恩賜公園]

3日目は東京の友人に案内をしてもらった。というのも今回、私が上野に宿泊をすると話したところ、「金子文子が上京して間もない頃、新聞を売った『三橋(みつはし)』が泊っている場所から近いはずだ」というのである。 そこで、不忍池(ここも文子の自伝に…

堀和恵「評伝 管野須賀子 ~火のように生きて~」(郁朋社)

関東大震災時の朝鮮人虐殺はなかった、あるいはあったけれど、それはやむを得ないことだったのだとする、いわゆる「虐殺否定論」を読んでいたら朴烈事件のことを取り上げた章があり、金子文子のことを朴烈の「愛人」だと書いていた。成程、このようにして貶…

東京大逆ツアー2.[大逆事件追悼集会]

東京滞在2日目の土曜日、管野須賀子の墓がある正春寺で行われる大逆事件の追悼集会に参加した。今回で109回目だと聞き驚く。大逆事件で幸徳秋水らが処刑された直後、弾圧を生き延びた堺利彦らが開いたのが最初であるという。その後のものが言えぬ時代にも「…

東京大逆ツアー1.[浅草]

毎年1月の最終土曜日に、管野須賀子の墓がある東京の正春寺で大逆事件の追悼集会が行われているというので、週末に東京に行ってきた。 宿は上野と浅草の中間くらいにある、古い日本旅館。到着した時は既に日が暮れていたけれど、夜の浅草見物に出かけてみた…