旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

野獣死すべし

角川映画祭で村川透監督の「野獣死すべし」を鑑賞。
大藪春彦の同名の小説が原作だが、主人公のキャラクターが大きく異なっており、原作者から批判されたようである。また、役作りのために大幅に減量した松田優作の姿を見て監督が激怒したというエピソードも残っているので、当初は「蘇る金狼」のようなハードボイルドアクションの予定だったのだろう。
松田優作演じる主人公の伊達は東大卒のエリート。学生時代は射撃部に所属していて、銃の心得がある。以前は通信社に勤務し、紛争地の取材に当たっていたが現在は退職、翻訳をして生計を立てている。趣味はクラシック音楽鑑賞。
このとても「大藪春彦っぽい」造形のキャラクターを、松田優作は全く違う風に演じた。
劇中で「死人のようにひっそりと歩く」と形容される場面があるが、まさに心は既にこの世にないかのよう。青白い顔をして表情に乏しく、10分以上に及ぶ長回しの場面でもまばたきをしていない。
伊達はまず、刑事を襲って拳銃を奪い、その拳銃で賭博場を襲って従業員を射殺し金を強奪する。さらに加賀丈史演じる粗野で凶暴な男・真田と組んで、銀行強盗を企てる。この辺りでどうにも違和感を感じてくる。
賭博場や銀行を襲うものの、伊達が金に執着しているようには感じられない。彼の目的は金ではない。彼の目的は、殺人そのものなのだ。
真田と組むにあたり、真田に銃の扱い方を教え、恋人を射殺させた伊達が長々と自身の殺人哲学を語る場面がある。この長台詞はもともと台本にはなく、松田優作自身が考えたものだという。言っていることは意味不明ながらも、強烈なインパクトと異様な熱量を感じる場面だ。この狂気の背景には、伊達の戦場での体験が横たわっている。
劇中で、その伊達が動揺する場面が二度ある。一度目は彼に思いを寄せる女性・令子にタクシーの中でそっと手を握られた時。二度目は銀行を襲う直前に、客として銀行に入っていく令子を見た時だ。
果たして、令子は強盗が伊達であると見抜く。伊達は追ってきた令子の前でマスクをはずして顔を見せ、令子を射殺する。
もし、彼が令子の気持ちを受け入れ恋に落ちていたら。令子を巻き込まないために、銀行を襲うのをやめていたら。
しかし、伊達は令子の気持ちを受け入れなかったし、予定通り銀行を襲いあまつさえ令子を殺した。それは伊達にとっては、真田に語ったよう「神さえも超越」することだったのかも知れない。だが、現実には人であることを自ら手放した瞬間だ。
ラスト近く、クラシックのコンサートホールの客席に、一人ぽつんと残された伊達の姿がとても孤独だ。もはや平和な日常には戻れなくなってしまった、彼の心象風景を表しているかのようだ。彼の耳には今も爆撃や砲弾の音が聞こえているのだろう。