旅と映画

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イギリスの女性参政権運動、特にWSPUについて 1.

KBCシネマで、サラ・ガヴロン監督の「未来を花束にして」を鑑賞・・・する前に、イギリスの女性参政権運動についてザッと調べてみた。
というのも、この映画の原題は「Suffragette」。女性参政権の意味で、中でも女性参政権獲得のために過激な運動をした人たちのことをSuffragistと呼んだという。
とすると、邦題とはずいぶんイメージが違ってくる。台湾で公開された時のタイトルは「女權之聲」だったとの情報もあり、これはまず、Suffragistのことを調べてみなくてはならないのではないかと思った。
映画の中では、メリル・ストリープがエメリン・パンクハーストという女性を演じているが、エメリンは実在の人物でWomen’s Social and Political Union(女性社会政治連合)、通称WSPUの中心人物だ。
彼女は1858年、イギリス・マンチェスターの裕福な家庭に生まれた。母親が急進的な思想の持ち主で、母親に連れられて14歳で初めて女性参政権の集会に参加する。
その後、女性の権利運動に熱心な弁護士と結婚。夫とともに、既婚女性の財産権に関する運動や貧民救済運動などに関わった。
夫は1899年に亡くなるが、長女クリスタベルの協力を得て、1903年にWSPUを立ち上げる。
WSPUの目的は男性と同様の選挙権の獲得であり、メンバーは女性に限定された。
エメリンとクリスタベルは運動を広げるため、紡績工場などを回り、女工たちに女性参政権の必要性を説いた。しかし、運動への支持は伸び悩んでいたようだ。
転機を迎えたのは1905年10月。マンチェスターで開かれた自由党の集会に、クリスタベルとメンバーのアニー・ケニーが出席。女性参政権についての質問を行うも二人は無視され、あまつさえ会場から追い出される。
会場の外でなおも声を上げ続ける二人に対し、警察官が止めに入ると、二人は乱暴なふるまいをした。(クリスタベルは警察官を殴り、つばを吐きかけたようである)
二人は公務執行妨害で罰金刑となるが、支払いを拒否。このためケニーは3日間、クリスタベルは10日間投獄される。このことが当時の新聞のかっこうのネタとなり、大きく取り上げられたのだ。
これ以降、WSPUのメンバーたちは選挙演説会場に行っては、候補者に女性参政権についての激しい詰問を行うようになる。
例えば、1906年の国会ではWSPUのメンバーたちが下院に押しかけて演説をし、排除されそうになるとスクラムを組んで抵抗し、またしても警察沙汰となっている。この時も罰金刑に処されるが、やはり支払いを拒否。投獄され、注目を集める。
この年、WSPUは活動拠点をマンチェスターから首都ロンドンに移している。この頃からエメリンの次女シルビアがWSPUの会員証、バッジ、ポスターなどのデザインを手がけるようになり、緑、白、紫がWSPUのシンボルーカラーとなった。
スローガンは「Deeds not words(言葉ではなく行動を)」。そのスローガンの通り、WSPUの活動は活発化していく。
WSPUはバザーを開いたり、寄付金を集めたりして活動資金を募り、会員数を増やしていった。
集会の知らせは歩道にチョークで書かれ、大規模な集会やデモを展開。支持を労働者階級から中産・上流階級にも広げ、WSPUの店を開店し、「Votes for women」というブランドのチョコレートや紅茶を販売した。
しかし、このことが「労働者階級から目をそむけ、上流階級と親交を深めている」と、古くからのメンバーの反発を招くこととなる。
特に非難はエメリンとクリスタベル母娘の独裁的な体制に集中し、WSPUは分裂、一部のメンバーはWSPUから離れて新しい運動体を立ち上げた。
しかし、その後もWSPUは中産・上流階級を中心にメンバーを増やし続け、運動は大規模化していった。