旅と映画

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「カラーパープル」

 中洲太洋で、ブリッツ・バザウーレ監督の「カラーパープル」を鑑賞。ピューリッツァー賞を受賞したアリス・ウォーカーの小説が原作で、1985年にはスティーブン・スピルバーグ監督により映画化された。今回はスピルバーグが制作を務め、ミュージカル仕立てにした二度目の映画化だ。

 1909年から1940年代後半に至るまでの長い物語である。映画の冒頭、主人公のネリーは父親から性的虐待を受け、妊娠している。彼女が妊娠するのはこれで二度目だが、生まれた子どもはいずれもどこかにやられてしまう。セリー自身も彼女の意思とは関係なく、ミスターという年長の男と結婚させられる。「ミスター」は男性の敬称であり、セリーは夫の本名すら知らなかった。

 セリーの唯一の心の支えは、妹のネティだ。だが、セリーが結婚した後、父親はあろうことか今度はネティを虐待しようとする。セリーは家を飛び出してきたネティをかくまうが、もともとセリーよりもネティとの結婚を望んでいたミスターが、ネティをレイプしようとする。ネティが抵抗すると激怒したミスターは、セリーの懇願も聞かずネティを暴力的に追い出してしまう。姉妹は手紙を書き合う約束をするが、これが数十年に及ぶ別れとなった。

 全編に力強い歌とダンスがあふれているので、陰惨さは薄められているが、セリーが置かれる状況は過酷である。それは彼女が黒人であり、女性であるからだ。

 人種、性別、階級、セクシュアリティなど複数の属性が重なり、相互に作用しあうことで特有の差別が生じること、それを可視化するための概念をインターセクショナリティという。ミスターやセリーの父親が、人種差別に苦しめられてきたのであろうことは想像に難くないが、セリーは黒人の中でも女性であるがために、さらに虐げられるのだ。

 だが、納得のいかないことには実力行使も辞さずに闘うソフィアや、奔放な言動でまゆをひそめられながらも己の力で生きている歌手のシュグなど、自分とは異なる生き方をする女性たちに出会うことで力を得ていく。

 二度目の映画化である本作が今日的なのは、後半のミスターの行動である。1985年版の映画では妻に去られ、失意の中で死を迎える彼が全く違う行動を取るのだ。ジェンダーに縛られているのは女性だけではない。男性もまた、開放されることで変われることを示唆している。