島田駅から歩くこと30分。いよいよ向山文庫跡に近付いてきた。
改めて「向山文庫」について説明すると、難波大助の曽祖父・難波伝兵衛周政(かねまさ)が1862年に創設した私設文庫のことで、難波家の土蔵がそれである。岸信介、佐藤栄作の曽祖父である佐藤信寛も通ったという。伝兵衛周政は幕末には勤皇の志士として奔走した人物であるが、晩年は画家となり覃庵(たんあん)の号を名乗った。明治天皇が山口を巡幸した際にはその画が二度、天覧されている。向山文庫跡、即ち難波家のすぐ近くには覃庵を顕彰する石碑もある。
難波家は川のほとりに建っていた。当時は村全体が見渡せる、一番よい場所だったようだ。川を渡るための石橋がかかっているが、これが非常に古い。ここからもう時が止まったようになっている。
橋を渡ると目の前には竹林。この竹林にひっそりと埋もれるように、難波家はあった。石塀で囲まれているが、苔むし、崩れている箇所もある。
山口県下で最も古い図書館であり、光市の史跡である向山文庫は比較的よい状態で残っているが、母屋の方は完全に廃墟であり、今にも崩れそうだ。ネットで調べたところ、地元の有志と思われる方がたまに草刈りなどの手入れを行っているが、管理人はおらず、普段は放置された状態にあるようだ。