JR島田(しまた)駅から向山文庫、難波大助生家までは徒歩で30分ほど。途中に難波家にも縁の深い「正義霊社」がある。
正義霊社は1582年、織田信長から中国平定の命を受けた羽柴秀吉の水攻めにより追い込まれ、自刃した備中高松城主・清水宗治ゆかりの寺社だ。宗治とともに自刃した家臣の難波伝兵衛宗忠は、大助の祖先にあたる。
前回は石段の下から見上げただけだったが、今回は登ってみた。
急な勾配の石段を登っている途上で、ガサガサと慌てる音がしたので、見てみたら野生のキジだった。さすがにこちらがカメラをかまえる暇もなく逃げて行った。
なお、途中もう一つ小さな鳥居があり、その奥には清水宗治11代の子孫で、第二奇兵隊総督として幕府軍と戦った清水親春の墓がある。
石段を登り切ったところにある社が、正義霊社だ。
正義霊社を後にし、さらに進むと竹林が見えてくる。ここを抜けると、難波家はもうすぐである。