旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

「一月の声に歓びを刻め」

 キノシネマ天神で、三島有紀子監督の「一月の声に歓びを刻め」を鑑賞。北海道・洞爺湖の中島、伊豆諸島の八丈島、大阪の堂島という3つの島を舞台にした、喪失と再生の物語だ。

 中島のマキは幼い娘が性暴力の末に殺され、恐らくはそのために自分が男性であることに耐えられなくなり、女性として生きている。八丈島の誠は妻を交通事故で失くし、男手一つで娘を育ててきたが、5年ぶりに島に戻ってきた娘は秘密を抱えている。堂島のれいこは6歳の時に見知らぬ男からの性被害を受け、そのために他者と親密な関係を築くことに困難さを感じていた。

 どの登場人物も重荷を背負っており、それが周囲の人間関係にも影響を及ぼしている。マキの娘の美砂子は父親が女性になったことを受け入れられず、「お父さん」と呼び続けている。だが、それ以上に美砂子が受け入れ難いのは、事件から何十年たってもいまだ父親が死んだ娘のことを思い切れず、それを引きずって生きていることだ。マキが作ったおせち料理には、死んだ娘の好物ばかりがならんでいる。

 れいこもまた、過去の性被害のために大切な人との関係が壊れ、修復もかなわなくなってしまった。突然暴力をふるわれることが既に過酷な体験であるのに、なぜその後の人生でも不遇をかこち続けなければならないのだろうか。

 映画の中に、加害者の「その後」は描かれない。他人を踏みにじってめちゃくちゃにしておきながら、自分は何食わぬ顔で生きているのであろう、この理不尽。

 物語の終盤、登場人物たちはそれまでふたをしてきた感情を爆発させる。特にれいこは、自身の被害と正面から向き合い、怒りや悔しさを吐き出す。

 この映画のベースには、三島監督自身が子どもの頃に受けた性被害の体験があるそうだ。公式HPに、監督はこうコメントしている。

 「死を考えた日、生きることを選んだ日、そのどちらにも癒えぬ傷があった。/男は欲望とともに、のうのうと生きている。/ならば自分は、傷とともにのうのうと生きてやろう」

 暴力、とりわけ性暴力被害にあうということは、人生を破壊されるようなできごとだ。だが、被害を受けたらそれがその人の「全て」になってしまうわけではない。被害者だから常に泣き暮らしているわけではなく、ひび割れたアスファルトから花が芽吹くように、笑うこともある、怒ることもある。被害者である以前に、一人の人間だからだ。