旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

特に目的のない旅5.[藤沢の山川菊栄]

 滞在3日目。この日は都内から足を延ばし、鎌倉と横浜を訪ねた。一つ目の行き先は村木源次郎の墓参り。昨年10月から、福岡市内で有志にて伊藤野枝の読書会を行っているので、その報告を兼ねて。あいにくの雨模様だったので、お花は供えず手だけ合わせてきた。
 そして、鎌倉に来たら乗らなくてはならないのが、江ノ島電鉄である。鎌倉から終点の藤沢まで約40分。

 鎌倉も藤沢も、私が敬愛する山川菊栄(1890~1980)が住んでいたことのある街だ。伊藤野枝金子文子と同時代を生きた山川菊栄は、卓越した理論家で知られている。私も20代の頃に「青鞜」史上で野枝と繰り広げた「廃娼論争」を読み、菊栄の目の覚めるような論の鮮やかさにしびれた一人だ。
 私が菊栄に一目置くのは、なんといっても多くの女性解放運動家たちが戦時に体制翼賛に転じる中で、一貫して戦争協力を拒否し続けた点である。藤沢にはまさにその頃、1936年に鎌倉郡村岡村(現・藤沢市弥勒寺)に移り住み、「湘南うずら園」を開業した。藤沢でうずら園を始めたのは、いよいよ言論統制が厳しくなり始めたからである。翌37年、パートナーの山川均が第一次人民戦線事件で検挙、38年にも治安維持法違反で投獄される。菊栄自身も時局批判をすることが困難となる。そうして始めたうずらの飼育だが、手間のかかる仕事だった。
 農業協同組合から買った飼料をうずら用に細かく砕き、畑で育てた青菜を刻んで混ぜ、1羽ずつブリキの小さなエサ入れに入れる作業が一日3回。その合間にエサ入れを全部取り換えて洗い、温度計を見て禽舎の温度を調節する。寒い時期には一晩中ストーブが欠かせない。その上、採れた卵の荷造り・運搬も自分でやらなければならない。卸先に行けばわずかなお金もサッとははらってもらえず、タラタラ不平を言われる。
 もっとも、菊栄も均も動物好きで、うずらの飼育自体は面白かったようである。毛皮用にイタチを飼育したこともあった。だが、家畜ではない獣を飼うのは容易なことではない。美しいが凶暴で人になつかず、均が指を食いちぎられそうになった。それでも珍しいもの好きの均は、今度はタヌキ(これも毛皮用)の飼育をしたがった。ところがタヌキは、菊栄曰く「文福茶釜以来伝説の中の狸というものは人なつこい愛敬ものになっていますが、実際には臆病で陰気な、人間ぎらいの野獣」で、「少しの物音にもショックをうけ、(中略)せっかく生んだ子も驚くと食べてしまったり」するという。リスクが高そうだし、均が投獄されている間に小屋を作るための建築資材が高騰したのであきらめた。
 一方でカラスを飼ったりもしており、こちらはよく人になれた。ことに均になついたようで、一緒に庭でくつろいでいる写真が残っている。残念ながら、近所の畑をほじくりかえしたために、空気銃で撃たれてしまったという。
 天気が悪くなければ藤沢の街を少し歩いてみたかったのだが、この頃にはどしゃぶりになっていたので断念し、二つめの行き先、横浜の神奈川県立図書館に向かった。神奈川県立図書館には「山川菊栄文庫」があるのだ。

 

[参考文献]
山川菊栄「おんな二代の記」(岩波文庫
山川菊栄記念会・労働者運動資料室編「イヌとからすとうずらとペンと 山川菊栄・山川均写真集」(同時代社)