旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

東京大逆ツアー 巣鴨編3.[福田英子の墓②]

 1884年、家出同然に出奔した景山(福田)英子は、まず大阪に行って板垣退助に面会する。この当時の英子は国権主義に心酔しており、その志に感心した板垣の紹介で新聞記者の家に下宿して東京で女学校に通い始める。その傍ら、校正の仕事をしていた富井於菟(おと)という女性と友人になり、女性の自立と解放を目的に「不恤緯(ふじゅつい)会社」を立ち上げた。不恤緯とは聞きなれない言葉だが、機織りを仕事とする寡婦が横糸が少ないことよりも宗周の滅びることを憂いたという中国の故事に由来している。

 当時の英子が女性の自立をどのように考えていたかは、次の述懐から知ることができる。

 

 「元来儂(のう)は我国民権の拡張せず、従って婦女が古来の陋習に慣れ、卑々屈々(ひひくつくつ)男子の奴隷たるを甘んじ、天賦自由の権利あるを知らず己れがために如何なる幣制悪法あるも恬(てん)として意に介せず、一身の小楽に安んじ錦衣玉食(きんいぎょくしょく)するを以て、人生最大の幸福名誉となすのみ、豈(あに)自体の何物たるを知らんや、況(いはん)や邦家の休戚(きゅうせき)をや」

 「政事に関する事は女子の知らざる事となし一(いつ)も顧慮するの意なし。斯く婦女の無気無力なるも、ひとへに女子教育の不完全、且つ民権の拡張せざるより自然女子にも関係を及ぼす故なれば、儂は同情同感の民権拡張家と相結託し、いよいよ自由民権を拡張する事に従事せんと決意せり」

 「女権拡張し男女同等の地位に至れば、三千七百萬の同胞姉妹皆競いて国政に参し、決して国の危急をよそに見るなく、己れのために設けたる幣制悪法を除去し、男子と共に文化を誘ひ、能く自体に通ずる時は、愛国の情も、いよいよ切なるに至らんと欲すればなり」(「妾の半生涯」獄中述懐)

 

 つまり、英子は「民権が拡張しないために女性たちは古い因習にしばられて男性の奴隷となり、自由の権利があることも知らず、きれいな着物を着ることや美味しいものを食べることのみを幸せとしている」「政治に関することは女には関係ないとして気にも留めない。このような女性たちの無気力は、女子教育が不完全だからである」「女性の権利が広がり男女同権になれば、女性たちも政治に参加をし、国の危機には立ち上がり、悪法を廃して男性とともに文化を築き、愛国の気持ちも深くなる」と考えた。当時の彼女が考える女性の自立とは、あくまで忠君愛国に基づくものであったのだ。

 英子が上京して間もなく、1884年12月に朝鮮で甲申政変が起きると、先に上京していた婚約者の小林樟雄が、自由党左派の指導者だった大井憲太郎(自伝には「重井」と表記)らとともに、朝鮮でのクーデターを計画する。この頃の朝鮮には、日本にならって近代化を進めようとする金玉均ら急進開化派による独立党と、清国に従属することで朝鮮王朝の維持を図ろうとする、閔妃一族を中心とした守旧派の二つの勢力が存在していた。1884年12月4日、金玉均ら開化派は日本公使・竹添進一郎の協力を得て、朝鮮郵便局落成式に乗じて閔妃一派の要人を殺害。日本軍とともに王宮を占拠し政権を掌握するも、これを知った清国が軍隊を派遣、日本軍と戦闘になり日本の居留民に死傷者が出る。朝鮮国王は清軍に保護され、政変に失敗した金玉均らは日本に亡命した。

 この後、日本と清国の間には、朝鮮から両国の軍隊を撤廃することなどを定めた天津条約が結ばれる。しかし、日本国内では清軍の攻撃によって日本人の死者が出たことばかりが大きく伝えられ、清国への反発と日本政府の弱腰を非難する世論が沸騰する。こうした政情を背景に、大井らは朝鮮に渡って独立党を支援して改革を成功させ、清国との間に外交的危機を生じさせることで日本国内の対清ナショナリズムをあおり、それによって日本政府の転覆を図ろうとした。

 この計画に、英子も女性としてただ一人加わった。獄中述懐の中で彼女は「辮髪奴(べんぱつど)」という言葉を使って清国に激しい敵意を示している。


 「儂(のう)思うてここに至れば、血涙淋漓(けつるいりんり)、鉄腸寸断(てつちょうすんだん)、石心分裂(せきしんぶんれつ)の思ひ、愛国の情、うたた切なるを覚ゆ。嗚呼日本に義士なきか、嗚呼この国辱をそそがんとするの烈士、三千七百萬中一人も非(あらざ)るか」


 「曩日(さき)に政府は卑屈無気力にして、彼の辮髪奴のために辱めを受けしも、民間には義士烈婦ありて、国辱をそそぎたりとて、大いに外交政略に関する而巳(のみ)ならず、一は以て内政府を改良するの好手段たり、一挙両得の策なり」(「妾の半生涯」獄中述懐)

 

 このような志に燃えて朝鮮に渡ることを決意した英子だったが、ほどなく失望することとなる。同志であるはずの民権運動家の男性たちが、口では天下国家を論じながら、苦労して集めた活動資金で酒を飲んだり女を買ったりして、放蕩にふけるからだ。あろうことか、婚約者の小林までもが遊郭通いをする。英子は悔しく情けない思いをしながらも、新しい日本のために甲斐甲斐しく男性たちの世話を焼く。そして、待ちに待った朝鮮行きの日がやってきた。

 女性である英子は、荷物の中に爆裂弾を潜ませて運ぶ任務を与えられる。途中、何度か危ない目にあいながらも長崎まで行き、いよいよ明日朝鮮に渡るという日の夜、英子は小林に別れの手紙を書く。一たび朝鮮に渡れば、生きて日本の土を踏むことはないであろう。父母の顔が思い浮かび、まんじりともできずにいると、泊まっている旅館に警官が踏み込んできた。男性の同志が拘引される中、女性である英子は見過ごされる。だが、布団の下に隠していた小林宛の手紙が見つかり、彼女も連行されてしまうのだった。