旅と映画

行ったところと観た映画の個人的な記録

東京大逆ツアー 巣鴨編5.[福田英子の墓④]

 景山(福田)英子と大井憲太郎が恋愛関係に陥ったのは、大阪事件の公判中のことだった。民権運動の同志であるはずの男性たちが酒色にふけるだらしない姿を見て、婚約者であった小林樟雄への愛も冷めた英子だったが、ある日獄中の彼女のもとに大井から思いのたけを綴った手紙が届く。最初は驚きとまどうも、繰り返し手紙を受け取る内に英子も彼にひかれ始め、ついには公判廷で束の間大井の姿を見るのに胸をときめかせるようになる。

 判決が下ると二人は別々の監獄に収監されるが出獄後に再会、大井から結婚を申し込まれた英子は小林との婚約を破談にし、大井との結婚を決意する。ところが、大井には妻がいた。妻は精神を病んでおり、離婚をするから待っていてほしいという言葉を信じて待つ内に、英子は妊娠する。人に知れては取り沙汰が悪いと大井に言われ、家を借りてそこにこもった。この間、大井は自由党を再結成するなど精力的に活動を続けている。一方の英子は、人目を避けて隠れるようにして出産を待たなければならなかった。

 1890年3月、英子は男の子を出産する。未婚のままでの出産だった。この子どもは大井にとっても初めての子どもで、非常に喜んだようであるが、大井と同郷の医師の子どもとして入籍される。英子の妊娠中から大井の足は遠のいていて、訪ねてくることもまれになっていた。他に女性がいたのである。しかもその女性は英子の友人であり、彼女も同じ頃に出産をしていた。

 激怒した英子は大井と絶縁する。子どもも大井からの援助は一切受けず、自分で育てていくことを決意した。英子は女性のための実業学校を開校し、両親と兄夫婦、弟夫婦と一家総出で経営する。母は習字、兄は読み書きと算術、兄の妻は刺繍、弟は図画、弟の妻は英語を教え、父が会計を担当した。

 しかし、1891年10月、父が亡くなる。12月には手伝ってくれていた叔母が、1893年4月には兄が亡くなる。学校は立ち行かなくなり、相次ぐ不幸で家計も逼迫する状況の中で再会したのが福田友作(ともさく)だった。友作は下野国都賀郡(現・栃木県下都賀郡)の裕福な蚕種問屋の長男で、アメリカへの留学経験があり、労働運動に強い関心を持っていた。しかし、友作の両親は長男として家業を継ぐことを期待しており、また友作が東京で民権運動の壮士たちの借金の保証人になって多額の借金を背負い込んだりするため、親子関係は険悪で友作は経済的に困窮していた。

 だが、友作にはむしろ清貧をよしとするところがあり、そのような友作に英子は安らぎを覚えた。1892年か93年頃、二人は同棲生活を始め、間もなく子どもが生まれる。ところが、この子どもが重病にかかる。二人は毎日神社に参詣し、英子は好きな浄瑠璃見物を断って回復を祈った。幸い子どもは一命をとりとめるも、今度は友作が郷里に呼び戻され、家業を継ぐよう両親に迫られる。

 将来のことを案じた友作は、資格を生かして朝鮮政府の法律顧問となるために朝鮮へ渡ることを考えた。しかし、この計画は失敗し(英子はその原因を友作の両親の妨害だとしている)、挫折した友作は二人目の子どもを妊娠している英子を東京において、郷里に帰ってしまう。しばらくは別居生活が続くが、二人目の子どもの出産を機に、英子も友作の実家で暮らし始めた。だが、因習に縛られた旧家で自分を押し殺して生活することに耐えられず、子どもを連れて家出をしようとする。見かねた親戚の提案によって親族会議が開かれ、友作は嫡男からはずされた。上の子どもを友作の弟として籍に入れ、実家で育てることと引き換えに英子と友作は東京に戻った。二人が入籍したのは1898年である。こうして彼女は景山英子から福田英子となった。様々な重圧から解放され、ようやく穏やかな生活を手に入れたはずだった。

 しかし、この頃から友作に異変が現れ始める。子どもと一緒に散歩に出て道に迷って家に帰れなくなるなど、奇行が目立つようになる。一説には、脳梅毒と言われている。1899年12月、英子が3人目の子どもを出産した時、その産声を聞いた友作は精神に変調をきたし、それからは座敷牢で過ごして1900年4月、36歳で亡くなった。

 友作の死に、英子は激しく打ちのめされる。友作の実家との財産分与をめぐるいざこざも重なり、心身のバランスを崩して寝込んでしまう。だが、子どもたちを健全に育ててこそ友作の愛に報いることができると考え、徐々に立ち直る。友作の一周忌が明ける頃、女性が自活して生きるための技術を身につける学校、日本女子恒産会を設立する。女性も教育を受け、自活する力を持つべきだという点では、彼女は一貫していた。

 1904年に出版された自伝「妾の半生涯」は、日本女子恒産会の設立趣意書で終わっている。いわばここまでが英子の前半生であるが、自伝には書かれていない後半生で彼女の思想は大きく飛躍する。