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大逆ツアー 鎌倉編5.[村木源次郎の墓③]

 村木源次郎の遺骨は現在、鎌倉の本覚寺にある長芝家の墓にある。本覚寺まではJR鎌倉駅から歩いて10分もかからない。まず、駅でKさんと待ち合わせ、花を買ってSさんと3人で本覚寺に向かった。

 本覚寺の歴史は非常に古い。源頼朝鎌倉幕府を開く際に、幕府の裏鬼門の鎮守として夷(えびす)堂という建物を建てたのが、現在の本覚寺の山門がある辺りだ。この時は天台宗系であったが、1274(文永11)年に佐渡流刑から戻った日蓮が夷堂に滞在し、ここを拠点として辻説法などを行った。1436(永亨8)年に天台宗から日蓮宗に改宗し、本覚寺が創建された。身延山久遠寺日蓮の遺骨が分骨されているため、「東身延」とも呼ばれる。

 

 

 

 

 長芝家は村木の父方の親戚である。村木の父・村木喜太郎の弟(村木から見ると叔父)の長芝三之助が、村木のよき理解者であったようだ。 墓には村木の名とともに、大きく「労働運動志士」と刻まれている。

 

村木源次郎の墓

 

 和田久太郎の回想によると、村木は自分の死装束として紋付きの衣類を準備していた。ところが、大杉栄伊藤野枝の娘の魔子が寒さに震えているのを見て、その死装束にはさみを入れて魔子の着物に仕立て直してしまったという。

 そのように他人のために何も惜しまなかった村木の遺骨が、理解者であった叔父とともに丁重に扱われているのを見るとホッとする思いがした。 本覚寺の境内には樹齢100年を超す百日紅の大樹があり、大振りのしだれ桜が毎年見事な花を咲かせているそうだ。そのような場所に村木は今、眠っている。