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桜の時期に4.[靖国神社 ――会津人柴五郎の遺書から考える――]

 東京滞在最終日。飛行機の時間まで少しだけ余裕があるので、一度行ってみなければと思いつつ、わざわざ予定を組むのも気が進まず、後回しにしていた場所に行ってみることとした。靖国神社である。

 靖国神社が創建されたのは1869年。当時の名前は東京招魂社。戊辰戦争をはじめ、佐賀の乱西南戦争明治新政府の側に立って維新遂行のために亡くなった幕末の志士と、その後の日清戦争日露戦争第一次世界大戦満州事変、第二次世界大戦などの戦争で亡くなった人たちの神霊が祀られている。その中には従軍看護婦などの軍属・文官・民間の人々、当時日本の植民地であった台湾、朝鮮半島出身の軍人・軍属なども含まれている。

 通常、神社の祭神として祀られるのは、記紀神話風土記に登場する神々、あるいは地域固有のローカルな神が多い。例えば伊勢神宮であればアマテラス、出雲神社であればオオクニヌシ。実在した人物が祀られる場合、それは徳川家康日光東照宮)のように歴史上非常に大きな功績を残した人物か、菅原道真太宰府天満宮)や平将門神田明神)のようにこの世に深い恨みを残しているであろう人物で、祟りを鎮めるために祀られる。

 靖国神社のように戦争で亡くなった人をひとまとめにして、神として祀っている神社は他にはない。非常に異質な存在といえる。

 

大鳥居

 初めて行った靖国神社の印象は、まずとにかく鳥居が大きいこと。それから広い。大きな神社は他にもあるが、なにか非常に整理された印象を受けた。広々としていて歩きやすく、緑が多いからか散歩に来ているらしい人の姿も目立った。ベンチに座って談笑していた中高年の男性グループの間から、「表現の不自由展」という言葉が聞こえてきたのでドキッとしたが、「なんで『不自由展』なんだろうね。『自由展』でいいのにね」という他愛もない会話だった。日本軍「慰安婦」被害者を象徴する「平和の少女像」や、昭和天皇をモチーフにした作品を展示したことが右翼の攻撃を受けた「表現の不自由展」が、ちょうど東京の国立で開催されたばかりだったのだ。

 

大村益次郎の巨大な像

Yasukuni4 

 

 

本殿

 境内にはお土産物屋やカフェ、食堂もあり、ちょっと休憩していくのによさそうである。だが、食堂に貼ってあるメニューのポスターを見て、思わず息をのんだ。

 2種類のメニューが紹介されており、一つは鹿児島の知覧に由来する「特攻の母」と冠された玉子丼。場所柄を考えれば、これは理解できる。問題はもう一つの方、「会津かき玉蕎麦」である。これは一体、どういうつもりなのか。

 

Menu

 

 靖国神社は戦争で亡くなった人たちを祀る神社である。しかし、ここに祀られていない戦没者がいる。戊辰戦争西南戦争で幕府の側につき、「賊軍」とされた人たちだ。その中には会津藩の死者も含まれている。

 明治新政府による会津藩の戦死者の排除は徹底していた。会津藩では約3千人が戦死しているが、遺体を埋葬することすら新政府軍によって禁止された。放置された遺体はそこかしこで鳥や獣に食い荒らされ、腐敗してすさまじい惨状となった。

 なお、戊辰戦争下の会津藩で何が起きたかは、石光真人編著「ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書」に詳しい。柴五郎(1859~1945)は薩長藩閥によって要職を独占された明治新政府の中で、会津藩の出身でありながら陸軍大将にまでなった人物である。義和団事件に際し、北京籠城を指揮したことで知られる。1945年8月、玉音放送を聞いた後に自決を図り、一命はとりとめるも同年12月に亡くなる。その前半生は苦難の連続だった。

 戊辰戦争の時、柴は10歳。一家の女性たちは82歳の祖母から7歳の妹まで、籠城になった時に食糧を消費しないように自刃した。男児であった柴のみが、母に言われて山にキノコ狩りに出て生き残る。城下は薩摩藩の兵により焼き払われ、藩士だけでなく町人や農民まで男女を問わず殺された。若松城落城後、柴は俘虜となって東京に移送される。会津武士の子と蔑まれ、下僕のような扱いを受ける。その後、父親とともに下北半島斗南に移封、「建具あれど畳なく、障子あれど貼るべき紙なし」といった粗末な家で、「餓死、凍死を免るるが精一杯」の生活を送る。父親に「会津の国辱そそぐまでは生きてあれよ、ここはまだ戦場なるぞ」と叱責されながら、犬肉を食べて生き延びた。恐らくそのような体験が、逆説的に柴に明治国家への忠誠を誓わせた。

 このようなことを思い起こす時、靖国神社の食堂に会津の名を冠したメニューがあることをどう捉えればいいだろうか。単に「かつては争いましたが、もう昔の話ですよ」ということなのかも知れない。しかし、それは勝利した側を祀っているものがいうことだろうか。

 何とも苦い気持ちになって靖国神社を後にした。

 

[参考文献]

石光真人編著「ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書」(中公新書

原武史「知の訓練 日本にとって政治とは何か」(新潮新書

高橋哲哉靖国問題」(ちくま新書