旅と映画

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桜の時期に5.[東京憲兵隊本部跡]

 帰りの飛行機の時間が迫る中、最後にもう1ヶ所だけ寄ってきた。東京憲兵隊本部跡である。大杉栄伊藤野枝、甥の橘宗一が殺害された現場だ。

 3人が殺されたのは1923年9月16日。実行犯は陸軍憲兵大尉の甘粕正彦だが、野枝と大杉の遺体は胸骨や肋骨が何本も折れており、複数名で激しい暴力を加えた末の殺害と見られている。遺体は畳表で巻かれ、憲兵隊本部内の廃井戸に捨てられた。解剖検査鑑定書には「井水は甚だ不潔なる濁水」とある。

 そもそも憲兵隊とは何か。本来は軍隊内の犯罪調査、思想取り締まりを行う部隊のことを指す。1881年にフランスの憲兵制度にならって創設された。1890年代に大幅に増員され、全国の市町村に配置される。この頃から一般警察の任務である公案維持も担うようになった。例えば1900年と1907年の足尾銅山鉱毒事件、1905年の日比谷焼き討ち事件、1918年の米騒動1920年八幡製鉄所罷業などに憲兵が出動し、民衆や労働者を抑え込んだ。大正末期からは思想取り締まりを主要な任務とするようになる。甘粕による大杉らの殺害は、その先鞭をつけるものであった。

 現在はホテルが建っていて、憲兵隊本部があったことをうかがわせるものは何も残っていない。井戸もどこにあったのかわからない。だが、実際に足を運んでみて衝撃を受けた。道路をはさんだすぐ向かいが皇居なのである。3人はこんな場所で殺されたのだ。

 

東京憲兵隊本部跡

道路をはさんだ向かいには皇居が広がっている