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追悼する人々と百年目の東京1.[追悼文を送付しないことの波紋]

 今年2023年は、関東大震災の発生から100年となる節目の年だ。個人的には99年目だろうと101年目だろうと、甚大な被害をもたらし、その後の日本社会を大きく変えるきっかけになったできごととして覚えておかなければならないと思う。だが、「次の100年」を見すえ改めて考える契機として、節目の年を強調することも大切である。

 私は2018年から9月1日前後を東京で過ごすこととしている。きっかけはその前年、小池百合子東京都知事が、都立横網町公園で行われる「朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文の送付を取りやめたことだ。

 朝鮮人犠牲者追悼式典は、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺の犠牲になった人々を悼み、このような歴史を繰り返さないことを目的に1973年から毎年行われているものである。1974年からは歴代の東京都知事が都民を代表して、追悼文を送付していた。ところが、2017年、小池都知事は「9月1日には都慰霊協会が主催する大法要があり、知事の追悼文を読み上げて亡くなった全ての方に哀悼の意を示している」ことを理由に、朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文は送付しないと表明した。以来、一度も送付しないまま今に至る。

 

 小池都知事は「亡くなった全ての方に哀悼の意を表している」と主張しているが、実際にはどうなのか。小池都知事のいう大法要とは、横網町公園内の慰霊堂にて、年に二回営まれている法要のことだ。春季(3月10日)と秋季(9月1日)に行われ、春の法要は都知事が、秋の法要は副知事が出席して、都知事の名による追悼の辞が読み上げられることになっている。

 小池都知事は例年、追悼の辞の中で追悼の対象を「震災や戦災で犠牲になられた方々」「関東大震災、また大空襲で犠牲となられた方」と表現している。ここに流言を信じた人々や軍隊、警察によって虐殺された朝鮮人も含まれていると言えるだろうか?

 実は今年の春季法要で、小池都知事は初めて「大空襲や大震災とその極度の混乱の中で犠牲になられた全ての方々」と言っている。朝鮮人虐殺への直接の言及はないが、「極度の混乱の中で犠牲」という新たに付け加えられた文言は、虐殺を意識しているように読み取れなくもない。

 今年になって文言が足された背景は定かではないが、知事自身、「亡くなった全ての方に哀悼の意を表している」という説明が詭弁であることはわかっていたのではないか。

 

 東京都知事という要職にある人が、「追悼文を送付しない」ことによって発するメッセージは決して小さくない。2022年、東京都の人権プラザで開催された展覧会において上映された映像作品が、東京都総務局人権部により上映を中止されるというできごとがあった。表向きの理由は、作品の中に「ヘイトスピーチと受け取られかねない部分がある」ということだが、到底言葉通りに受け取ることはできない。

 この映像作品の中には、関東大震災時の朝鮮人虐殺について言及する場面があった。都人権部は、人権プラザを管理する東京都人権啓発センターの職員に対し、「朝鮮人虐殺を事実と発言する動画を使用することに懸念がある」として、上映を禁止するようメールにて通達した。その際に都人権部が根拠として示したのが、小池都知事が追悼式典に追悼文を送付していないことだった。

 関東大震災時に朝鮮人が虐殺されたことは、多くの歴史家が認めるまぎれもない史実である。それなのに、都知事が追悼文を送付していないことが優先事項とされ、人権部の名において虐殺の事実が否定されるのは異様なことであり、看過できることではない。

 深刻な事態はこれだけにとどまらない。小池都知事が追悼文の送付を取りやめたのと同じ2017年から、「日本女性の会 そよ風」という団体が、朝鮮人犠牲者追悼式典に対し悪質な妨害行為を行ってきているが、100年の節目となる今年、人道的に許されないようなことをしかけてきたのである。