旅と映画

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追悼する人々と百年目の東京5.[百年の朗読]

 ところで、今年の横網町公園はなつかしい人たちとの再会の場でもあった。100年の節目と、新型コロナが5類感染症に移行し、様々な制限が緩和されたことが重なったためだろう。

 まず、朝鮮人犠牲者追悼式典に参加するため、受付で名前を書いたところで後ろから名前を呼ばれた。ソウル在住の知り合いが数年ぶりに帰国し、たまたま私の後ろに並んでいたのだ。思いがけない再会だった。

 他にも、2018年に韓国・聞慶(ムンギョン)の朴烈義士記念館で行われた日韓シンポジウムにご一緒した韓国人のKさん、東京、福岡の市民運動関係者など、見知った顔をあちこちで見かけた。

 式典終了後にみんなでご飯を食べていると、Kさんと一緒に来日している、こちらは初対面のPさんが明日、荒川河川敷で行われる韓国・朝鮮人追悼式に参加する予定だという。Pさんは日本語が話せず、東京の地理にもくわしくない様子だ。私も参加予定なので、Pさんが泊っているホテルで待ち合わせ、一緒に行きましょうということになった。

 

 翌日9月2日に荒川河川敷で行われる追悼式は、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会 一般社団法人ほうせんか」が長らく主催してきたものだ。今年は「百年(ペンニョン)」というグループが中心になって行うという。百年は、ほうせんかの活動を継承するために20~40代の若い人たちが立ち上げたグループだ。今年の追悼式で参加者に強い印象を残したのが、彼らによる「証言朗読」だった。

 1923年9月1日午前11時58分の地震の発生から、流言が流れ多数の朝鮮人が虐殺されるさま、1970年代に入り小学校教諭だった絹田幸恵さんが、荒川放水路の開削工事について調べている時に偶然に虐殺の話を聞き、「真実を明らかにしたい」と行動を起こしたこと、それが今のほうせんかの活動につながっていること、1982年から河川敷で追悼式を続けてきたこと、そして若い人たちの感覚として、「ヘイト」は過去の話ではなく身近な問題であること、差別に抗う社会を作って行きたいという願い、虐殺の事実を自身の問題として未来に語り継いでいきたいという決意。

 

 荒川河川敷の近くには、「韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」が建っている。絹田さん他ほうせんかの人々がねばり強い運動と大変な努力の末、2009年9月に建立したものである。

 追悼式の前にPさんを碑にご案内すると、Pさんは碑の前で地面に手をつき、深く額づいた。韓国式のおじぎで最も丁寧なものである、クンジョルをされたのだ。その姿を見た時、これは過去のことではないのだと思った。

 

Housenka

 

 百年の証言朗読は次のような言葉で締めくくられている。少々長くなるが、引用したい。

 

「あなた」は誰ですか

100年前のあなたをこの場所から想像したい

生活の延長線上で、隣の人が殺されたり、殺したりしたこと

もしかしたらあなたが隣にいたかもしれないということ

もしかしたら隣にいるあなたがいなかったかもしれないということ

私たちは今ここにいる

あなたも確かにこの場所にいた

名前を知らないあなたへ

「あなた」は誰ですか

来年もまたここであなたに会いたい